1. 仙台トップ
  2. トピックス
  3. 小学生が見た震災から7年

小学生が見た震災から7年

東日本大震災から間もなく7年が経とうとしています。提携紙マ・シェリ(盛岡)、リビング仙台、リビング福島・郡山の3エリアでは、東日本大震災や復興の歩みを知るために、各エリアの小学生記者と共に沿岸部を取材。当時まだ幼かった子どもたちが見る被災地の今とは?

  • sample
  • sample
  • sample
  • sample
  • sample
  • sample

宮城県 南三陸町

sndi311_main01「南三陸ポータルセンター」で震災前後の様子を、数々の写真パネルを通して学びました

仙台の〝小学生記者〟が南三陸町へ
復興の歩みを取材しました

仙台の中心部では多くの人が日常生活を取り戻していますが、甚大な津波被害にあった沿岸部は今も復興の道半ばです。被災県に住む私たちはどう考え、何ができるのでしょうか。沿岸部の今を知るために、リビング仙台の小学生記者として安喰未来さん、外塚然さん、宮戸千尋さんが南三陸町へ。南三陸町は東日本大震災により、多くの尊い命や暮らし、そして町のコミュニティーが奪われました。
訪れた3人を迎えてくれたのは、南三陸町観光協会の菅原きえさん。町の交流拠点の「南三陸ポータルセンター」で、震災当時や現在の町の様子を教えてくれました。

sndi311_main03

案内してくれたのは
南三陸町観光協会
菅原きえさん
https://www.m-kankou.jp/
電話 0226-47-2550

sndi311_main02
「南三陸町は震度6弱の揺れの後、大津波に襲われ、町民の約半数が住む家を失いました。これまでここは何度も津波に見舞われてきた歴史があるのですが、あれほどの津波がくるということは誰も予想していませんでした」と菅原さん。先人たちが〝地震の後は津波が来る・高台へ逃げろ〟と後世に伝え続けていた意味をあらためて感じたとか。いざという時に、〝自分の命は自分で守る〟ことの大切さを伝え続けていきたいと話します。3人は菅原さんの話に真剣なまなざしで聞き入っていました。
「避難所生活で、あって良かったものは何ですか?」と外塚さん。「生きることに必死だった毎日の中で、心の支えとなったのは地域の子どもたちの笑顔です。笑顔はたくさんの人を元気にしてくれます。ですから、どんな時も笑顔を忘れないでくださいね」(菅原さん)。

 

取材を通して感じたのは
町民の〝復興への思い〟と〝町への愛情〟

sndi311_main04道路のかさあげ工事が行われているため、献花台が設けられた場所から「旧南三陸町防災対策庁舎」を見学。鉄骨部分だけとなった建物を目の当たりにして、津波の恐ろしさをあらためて感じました

菅原さんの案内のもと、3人は津波により建物の鉄骨部分だけとなった「旧南三陸町防災対策庁舎」と、校舎1階の天井付近まで津波が押し寄せたという、高台にある「旧戸倉中学校」へ。「津波の威力は本当にすごかったんだね」と安喰さん。3人は自然の猛威をあらためて感じていました。 「これから私たちにできることは何ですか?」と宮戸さん。「震災から7年経ち、南三陸町は復興したと思う方もいるかもしれませんが、昨年やっと志津川地区にスーパーが再建されるなどまだまだ復興の途中です。現在は、国内外からの民泊体験を受け入れたり、はらこ・タコ・アナゴを一つの丼にした新名物〝さんこめし〟を生み出すなど、町民みんなで町の良さをPRしています。多くの方に遊びに来ていただき、〝被災地〟としてだけではなく南三陸町の魅力を感じてほしいです。それが復興を後押しする力になります」(菅原さん)。

sndi311_main06旧戸倉中学校(現 戸倉公民館)から南三陸の海を眼下に望むことができます。震災では、写真に映る電線の高さを超える津波が校舎の裏側から押し寄せ、建物1階の天井付近にまで達したそう。校庭には現在も仮設住宅があります
震災後、復活した海水浴場「サンオーレそではま」、飲食店やお土産店といった28店が軒を連ねる大型観光施設「南三陸さんさん商店街」など、町の魅力とにぎわいが伝わる場所にも訪れ、町民の震災や復興への思い、町への深い愛情を感じた3人。「友達にも南三陸町のいいところを伝えたい!」「必ずまた来ます」と話す3人の笑顔は、南三陸町の海のようにキラキラと輝いていました。

sndi311_main05300mに渡る人工海水浴場「サンオーレそではま」。昨年の再オープンでは町民が歓喜に沸いたといいます。広い砂浜と海を目にした瞬間、一斉に駆け出した3人は「海が透明できれい!」と南三陸町の海の美しさに感動していました

取材を終えて

多くの人がまちの復興を支えてきたことを実感

sndi311_main07

安喰未来さん
(あじきみらい)
小5
私は初めて南三陸町に行きました。最初は怖かったです。でも、震災の写真を見たりして、とても大変だったのだと思いました。
震災の時の状況や、その時どんな思いだったかなど、知らないことがたくさんありました。ポータルセンター、旧防災対策庁舎、旧戸倉中学校、サンオーレそではま、さんさん商店街を見て、さまざまな人が7年間、南三陸町を支えてきたのだと実感しました。
こんなに自然豊かで海もきれいな町に、人があまり来ないなんてもったいないと思いました。私はまた南三陸町を訪れたいと思いました。

津波の恐ろしさ、そして町のすばらしさを知りました

sndi311_main07

外塚然さん
(とづかぜん)
小4
 今回の取材を通して、あらためて震災の怖さを実感しました。南三陸町では大きな津波により多くの命が奪われました。家を流された人もたくさんいます。旧防災対策庁舎はとても丈夫な建物だったそうですが、津波がその建物を骨組みだけにしました。あれから7年経った今も、たくさんの人が苦しんでいます。それでもがんばっている人はいます。その人たちの努力でサンオーレそではまやさんさん商店街が復活しました。そこには、たくさんの人の気持ちが集まっていて、勇気をもらえます。
南三陸町はすばらしい町です。自分たちがみんなにも震災や津波の怖さ、町のすばらしさを伝えて、実際に行って感じてもらいたいです。

「美しい海の町」をみんなにも知ってほしい

sndi311_main07

宮戸千尋さん
(みやとちひろ)
小4
 私が今回思ったことは、南三陸町は美しい自然がいっぱいで、にぎやかな「海の町」ということです。
たしかに、震災によって被災し、今もまだ復興に向けて進んでいますが、宝石のようにキラキラした海があり、世界に認められた美しい山々があり、町の人や観光客でにぎわう商店街があり、とても元気な町へと歩んでいるように感じました。
またあの東日本大震災の津波などで被災した建物を残すことで、津波の怖さを伝えようともしています。
私が伝えたいことはぜひ南三陸町に足を運んでほしいということです。南三陸町の美しい自然に触れながら、復興へと進んでいる活気あふれる「海の町」をぜひ多くの人に知ってもらいたいです。

  1. 1
  2. 2
  3. 3

同じジャンルの記事を読む

人気記事ランキング

  1. 仙台トップ
  2. トピックス
  3. 小学生が見た震災から7年


会員登録・変更