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超初級!中国語

W杯を観ながら中国語を勉強しよう♪

2018/6/21

さっちん

大家好ダージャーハオ(みなさんこんにちは)!
さっちんです^^

 

いやあ!サッカーW杯、盛り上がってますね~!
日本vsコロンビア戦、私も同じマンションの日本人仲間と大いに盛り上がりつつ観戦いたしました♪

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中国生活20年の先輩宅にて。
日の丸はなんとお手製!海外生活が長いと愛国心も増すのでしょうか。。。?

香川選手に大迫選手のゴールには、みんなで抱き合って大騒ぎ(笑)
いつもは中国人のやかましさにウンザリの日本人ですが、先日の夜はさぞかし「隣の日本人、やかましいなぁ」と思われていたことでしょう(汗)

 

中国チームは今回のW杯には出場していませんが、なぜか中国でも盛り上がっています。

日本戦の翌日には、ローカルレストランで現地のテレビ局が流す日本戦を再放送していましたし、近所のデパートではこんなものが張られていました。

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サッカーって世界中の国々で愛されているスポーツなんですね。

 

ところでこの対戦表、みなさん解読できますか?
私もほとんどわかりません(~~;

 

私はワインが大好きなので、最近では有名なワインの産地国は大体覚えてきました(笑)

 

法国ファーゴゥ」こちらはフランス。
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西班牙シーバンヤァ」こちらはスペイン。s-IMG_6641

 

智利ヂィリィ」こちらはチリですね♪
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でも今回のW杯の対戦表はさすがに頭の中が「???」だらけに。。。

 

まず日本が含まれるCチームを見てみますと、

コロンビア「哥伦比亚グゥルンビーヤァ

セネガル「塞内加尔サイネイジャール

ポーランド「波兰ボーラン

ちなみに「兰」という字は日本の漢字だと「蘭」になります。

とっても面白いですよね!

 

私が「これはなんじゃ?」と思ったのは

沙特阿拉伯シャートゥアラーボー

これ、サウジアラビアなんです。。。

 

乌拉圭ウーラーグゥイ」はウルグアイ。

瑞典ルイデェン」はスウェーデン。

 

違う意味で面白いのが「冰岛ビンダオ」。

「冰」は日本の漢字では「氷」。

すなわちアイスランド!

まるでクイズみたいなんです(笑)

 

日常生活で私が主に目にするのは日本に関係する主要な国々の名前なのですが、W杯ではいつもは目にしない国の名前がたくさんあるので、そういう面でも楽しんでます^^

 

まだまだW杯は始まったばかり!

日本代表を応援しつつ、中国語での国名覚えにも励もうと思います!

 

それでは今日はこの辺で!
再見ザァイジェン(またね)

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上海の習慣・風習

端午節にはちまきを食べよう♪

2018/6/14

さっちん

大家好ダージャーハオ(みなさんこんにちは)!
さっちんです^^

 

しばらく西安旅行記が続き上海ネタから少し離れていましたが、その間に街中に溢れてきた食べ物があります。

それは粽(チマキ)
中国語では粽子ジョンズと言います。

中国の端午節ドゥアンウージエは旧暦の5月5日(今年は6月18日。端午節は祝日なので今週末は三連休です♪)。
粽子を食べる習慣があります。

 

ただ今、スーパーには粽子が溢れています!

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出来立てホヤホヤの手作りバージョンもあり♪

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日本でも端午の節句に粽を食べる習慣がありますよね?
童謡の『背くらべ』で「5月5日の~」や「チマキ食べ食べ~」などのフレーズが思い出されます。

日本の端午の節句は「こどもの日」「男の子の節句」として知られていますが、中国の端午節は、そういった意味合いはあまりありません(中国の「こどもの日=児童節アールトンジエ」は別にあり、6月1日です)。

 

そもそも中国の端午節はどういったものなのでしょうか?

中国では「牛」の発音はウー。数字の「5」の発音もウー。
十二支での「牛の月」=「5月」
なんだか語呂がいいですね^^

そして「端」という字には「はじめ」という意味合いがあります。
すなわち「端午」=「5月の初旬」という意味合いがあります。

そんなところから「5月5日=端午節」という風に定められていったようです。

また、起源についてはほかにも色々あるようですが、最も有名なものとして伝えられているものに、春秋時代の詩人・政治家である屈原チューユァンという人物の伝説がもとになっているものがあります。

屈原は有能さと優しさ、そして正義感を併せ持つ卓越した人物で、多くの人に慕われていましたが、不器用なところがあったのか様々な困難に合い不遇の環境に追いやられてしまいます。
そんな屈原は、国と自身の将来を憂い、5月5日についに川に身を投げ入水自殺をしてしまいます。

そんな屈原の遺体を探すために、人々は川に船を出し亡骸を探しますが見つからず、それでも亡骸が魚のエサなどにならないように、チマキを川へ投げ入れ魚を満腹にさせ、太鼓などを叩いて魚を追い払ったという言い伝えが。。。

 

さて皆さん!ここでいきなりクエスチョン!
毎年、横浜の開港祭では横浜港で何が催されますか?

そうです!ドラゴンボートレースです!
(今年のレースに参加した方はいらっしゃるかしらー?^^)

太鼓をドンドン叩いて、船を一生懸命漕ぐ。
楽しい楽しいドラゴンボートレースは、実はそんな悲しい伝説から生まれた競技なのですね。。。

中国でも端午節には各地で盛大にドラゴンボートレースが催されます。

ここ上海でも、毎年ちとバッチイ蘇州河でドラゴンボートレースが開催されます^^;
(今年も一足お先の6月9,10日の週末にすでに開催されました)

 

さて端午節は、「古代の詩人・屈原を偲ぶ節」であると同時に「無病息災」を願う行事でもあります。

古代中国では、この季節に薬草を摘み健康を祈願する習慣がありました。
特に笹の葉や菖蒲・ヨモギなどは殺菌作用に優れ、邪気をも払う力があるとされ重用されたとか(日本でも端午の節句に「菖蒲湯」に入りますよね?)。

 

また「鯉のぼり」も中国ゆかりのものから生まれた日本独自のものです。

中国を流れる黄河の上流には、龍門山という山があります。
そして黄河にはその山を切り開いてできた箇所に、とても流れが急になる場所があり、その場を「龍門」と呼んでいました。

中国の故事には「その急流を登り切った魚(鯉)は龍になれる」という言い伝えがあり、そこから「登竜(龍)門」という言葉が生まれ、「立身出世」果てには「子孫・お家繁栄」の象徴として用いられる言葉になりました。

中国では「古代の詩人を偲び」「無病息災」を願う端午節が、日本に伝わり「無病息災」「立身出世」を願う「男の子のための節句」へ。

こういう何気ない行事ひとつをとっても、中国と日本とはとても深いつながりがあり、中国の文化をお手本として取り入れてはいるものの、長い時代を経て日本独自の文化へと育てていった。。。と考えると、とても面白いですよね!

 

それでは今日はこの辺で!
再見ザァイジェン(またね)!

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<番外編>中国の古都・西安へ⑥

2018/6/7

さっちん

大家好ダージャーハオ!(みなさまこんにちは)!
さっちんです^^

 

先月初めから「上海太太日記」の番外編として、私が二泊三日で旅した西安シーアンの観光スポットをご紹介しています。

西安レポートの最終回に満を持してご紹介するのは、まさに西安観光のメインスポット!兵馬俑ビンマーヨンです。

それではスタート!

 

兵馬俑ビンマーヨン

 

日本人。。。いや世界中の人々が一度は訪れてみたい大人気の世界遺産・兵馬俑

まず兵馬俑とは何ぞや?というところから簡単にご説明。

 

秦の始皇帝のお墓が西安近郊の街であるその地域に存在していたらしいというのは「史記」などの古代中国の歴史書に記載されていて、それに基づき1962年に発掘調査が行われ、秦始皇帝陵が発見されました。

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兵馬俑のにある陵墓は、兵馬俑に比べてひっそりしていました。。。

こちらの陵には、皇帝の永遠の眠りを妨げないように様々な仕掛けが施されており、70万人が38年かけて造ったお墓だそうです。

その仕掛けとは、地下宮殿が作られ金銀財宝がざっくざく!水銀の川で辺りを覆い人を寄せ付けず、お墓を荒そうと近づく者には、容赦なく毒矢が放たれる仕組みになっていたとか。。。

恐ろしや~!

 

さて、そもそもこの陵墓を守るために取り囲むように配置された兵馬俑の兵士たちですが、陵墓の言い伝えはあれど、兵馬俑自体の存在は知られてはおらず、ある偶然の発見により世界中がビックリすることとなります。

 

世紀の発見は、1974年のある日に起こります。

地元の農民である楊さんが井戸堀りの作業中、何か固いものが地中に埋まっていることを発見。
掘り出してみると、等身大の大きな人型(俑)が出てきてビックリ仰天!

そもそも昔からこの地域には土偶や土器などの遺跡がよく見つかっていたらしいのですが、人型の土偶なんてなんか薄気味悪い。。。とこっそり壊してしまったり捨ててしまっていたらしいのです。

それをちゃんと役場へ報告した楊さんはエライ(笑)

それをきっかけに発掘調査を始めると出るわ出るわ!

東西200m以上南北60m以上におよぶ兵馬俑坑(1号坑)に6000体もの等身大の俑が発掘され世紀の大発見と世界中が大騒ぎ!

現在までに8000体発掘されている俑は二つとして同じ顔はしておらず、今にも動き出しそうなほど精巧に作られています。

 

貧しい農民だった第一発見者の楊さんは、その後兵馬俑博物館の名誉館長になり「世界的な大発見をした最高にラッキーな人物」と大人気になったようです^^

以前は兵馬俑の入り口付近にいて、サインや握手をせがまれたり記念写真を撮られたりと大忙しだったとか!(まだご存命とのことで、私も会えるものなら会ってみたかった!)

 

さて、いよいよ兵馬俑のご案内へ♪

まずは一番有名な第一坑へ。

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第一坑は大きな体育館のような造りになっており、そこには数千体の物言わぬ兵士たちが。
左右にいる人の小ささでその壮大さがお分かりになるかと!

 

本当にすべての顔が異なり、今にも動き出しそうな精巧な作りになっています。

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朝日が兵士の顔を照らして、なんとも幻想的。。。

 

もう私たちを含むすべての観光客が、その存在感に圧倒され、興奮し、見とれた後に、写真を猛烈に撮りまくるという(笑)

それほど圧巻の第一坑でした。

 

続いての第二坑は、まだ未発掘の発掘場の他に、それぞれの形をした兵士の説明などもあり、俑を間近で見られることもあって、そちらもまたかなりの興奮度(笑)

 

こちらは弓引き部隊ひざ射ち兵士俑

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貫禄あるこちらは将軍俑
頭には冠を被り、鎧にも装飾が施されています。

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こちらは立射俑
戦の最前線に立つ兵士で、まさに弓を構えている姿。
新しい弓を背中から取り出して弓をセットするのに邪魔にならないよう、頭のマゲを右側に寄せて結んでいるのも、なるほどー!といったところ。

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こちらの騎兵俑と鞍馬俑もほぼ実物大。
両者をつなぐ鎖も当時のものだとか。

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続いての三号坑は、、、

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かなり小規模ですが、始皇帝直轄の武将クラスのお偉い将軍たちの俑。
作戦会議でもしているのでしょうか(笑)

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冠を被っていることからも、高い身分であることが分かります。

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兵馬俑博物館には、青銅製の馬車が展示されています。

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こちらの馬車は実物の二分の一で作られていて、今までの土製でななく銅製ということで、これまた貴重なもの。

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2台目のこちらは始皇帝が乗る馬車だそうで、本物は冷暖房完備だったとか!?
数千年前に冷暖房完備って。。。本当だったらビックリですよね!

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発掘当初の現地の様子はこんな感じだったようです。
すごいド田舎!(笑)

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まさかこんなところから数千年前の皇帝のお墓とそれを守る兵士たちが見つかるとは誰も思わなかったでしょうね。

 

世界で一番世界遺産が多い国である中国。
その中でも人気ナンバーワンと言っていい兵馬俑。

死ぬまでに一度訪れたいと思っていた場所を観光出来て、大興奮の一日となりました^^

長くなりましたが、二泊三日の西安駆け足旅行のレポートはこれにて終了!

 

それでは今日はこの辺で!
再見ザァイジェン(またね)

 

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<番外編>中国の古都・西安へ⑤

2018/5/31

さっちん

大家好ダージャーハオ(みなさんこんにちは)!
さっちんです^^

 

今月初めから「上海太太日記」の番外編として、私が二泊三日で旅した西安シーアンの観光スポットをご紹介しています。

今回ご紹介するのは、日本でも有名な世界三大美人の一人である楊貴妃ヤングイフェイゆかりの温泉地「華清池ファーチンチーをご紹介。

 

それではスタート!

 

華清池ファーチンチー

 

華清池は世界三大美人(クレオパトラ・小野小町)と中国四大美人(西施・王昭君・貂蝉)の両方に名を連ねる、美女中の美女!楊貴妃が、唐代の玄宗シュエン皇帝とロマンスを育んだ場所としてとても有名なスポットです。

玄宗と楊貴妃のロマンスはとても有名なお話ではありますが、ここで簡単に説明しますと。。。

唐の第6代皇帝である玄宗は皇帝時代の初期は平和を維持し、経済・文化の発展と共に大いなる繁栄時代を作り出した名君として非常に名高い皇帝でした。

しかし、楊貴妃と出会ってから、その運命がガラリと変わってしまいます。

それまでの寵妃が死去し新たなお妃を探していた玄宗は、息子・寿王のお妃であった絶世の美女・楊貴妃を見染めてロックオン!

息子から楊貴妃を奪い、自らのお妃にしてからというもの、その妖艶な美に溺れ日々遊び暮らし、楊貴妃の親族を官職に徴用するなどやりたい放題!

毎日毎日飲めや歌えや踊れやの大宴会(いわゆる酒池肉林?(笑))で政治をおろそかにしたため、国は衰退し大混乱!

ついには部下や政敵の怒りと恨みを買って、反乱を呼び起こすはめになってしまいます。

反乱軍は、国が乱れたのは皇帝を弄んだ楊貴妃の責任と考え、皇帝に楊貴妃の死を要求し、それを受け玄宗は泣く泣く楊貴妃を自害させる。。。

何ともまあ、自分勝手な皇帝。。。(苦笑)
息子の嫁を略奪した挙句、死を要求。。。?

勝手に惚れられ、挙句には命を奪われる羽目になった楊貴妃もちょっと気の毒な気が。。。

とにかく、玄宗と楊貴妃がまだまだ楽しくラブラブな時代、玄宗が楊貴妃のためにと冬の離宮として建てられたのが、この温泉施設です。

日本でも親しまれている白居易バイジューイーが二人のロマンスを読んだ「長恨歌チャンヘングゥ」ですが、その

「春寒くして浴を賜ふ華清の池、温泉水滑らかにして凝脂を洗ふ」
「驪宮高き処青雲に入り、仙楽風に飄へりて処処に聞こゆ」

などの箇所は、まさにこの華清池を舞台に読んだ部分です。

温泉としての歴史は、この楊貴妃の時代よりも遥かに遡り、周の時代から三千年以上の歴史があります。
驪山リーシャンの麓に位置するこの温泉は、この山の爆発により温泉が湧き、それまでの歴代皇帝も、ここを温泉地として活用していました。

その他には、1936年に起こった西安事変の舞台でもあり、蒋介石ジイェンジエシーが拉致監禁された場所としても有名です。

 

さて、能書きはこの辺にして(笑)旅した際の写真をご紹介したいと思います。

 

入り口前には踊りの名手だった楊貴妃と、その踊りに夢中な玄宗の姿が。

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入り口を入ると、、、

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驪山をバックに華清池の宮が広がっています。
(驪山にはロープウェイでも登れるそうです^^)

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池の麓には妖艶な楊貴妃の像が。。。

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実のところ楊貴妃は、今の美人の基準とはかなり隔たりがあり、いわゆる「平安美人」(いや時代的には飛鳥美人に近いですかね?)でかなりの肥満体だったとか?

さて、温泉地として有名だった華清池ですが、古代温泉の跡は1982年に偶然発見され、その後整備が進められ1990年に「華清宮御湯遺跡博物館」として公開されました。

なので建物は清代の建物をもとに復元されたものとのことです。

飛霜殿は玄宗と楊貴妃の寝室を再現した建物。

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こちらは古代から続く温泉の古源

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左のオバちゃん、傘の柄で水を触ろうとしています(笑)
少しでも楊貴妃の美にあやかりたい!?と必死?

 

こちらの「海棠の湯」は別名「芙蓉の湯」で楊貴妃専用のお風呂です。

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青い石で作られた湯舟は海棠の花の形をしていて3.6m×2.7mとかなり小さいものでした。

 

傍の高台には楊貴妃が長い髪を乾かしたといわれる東屋が。
風流ですね!

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こちら「蓮花の湯」別名「御湯九龍の湯」は玄宗のお風呂です。

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10.6m×6mの白大理石造りとかなり大きく豪華で、皇帝のお風呂にふさわしい大きさでしょうか。

 

 

こちらの「尚食の湯」は皇帝やお妃に仕える使用人たちが、身を清めるために入ったお風呂です。

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皇帝の食事を作る係の人たちは、自分の足を洗う際に手を使って洗うことを禁じられたとか。
「皇帝の口に入る食べ物を触る手で、自分の足を洗うなんてケシカラン!」ということでしょうか!?
んな、無茶苦茶な。。。(汗)

 

敷地内には世紀のラブロマンスに憧れたカップルの恋愛成就祈願が木に結ばれていました。

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ガイドさん曰く「地元の人は、絶対やらないよ。。。玄宗と楊貴妃の恋は悲劇に終わったからね」とシビア~に呟いてましたが。。。

 

広い敷地の中には美しい庭園や、ゆっくりと温泉に浸かれる宿泊施設もあるそうです。

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華清池温泉の源泉温度は43℃でたくさんのミネラル成分を含み、楊貴妃ゆかりの温泉地ということで「美人の湯」としても有名です。

 

時間があったら是非泊まってみたかったです!!!(切実!)

また次回をお楽しみに~!

 

それでは今日はこの辺で!
再見ザァイジェン(またね)

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<番外編>中国の古都・西安へ④

2018/5/24

さっちん

大家好ダージャーハオ(みなさんこんにちは)!
さっちんです^^

 

今月から「上海太太日記」の番外編として、私が二泊三日で旅した西安シーアンの観光スポットをご紹介しています。

今回ご紹介するのは「西遊記シーヨンジーで有名な玄奘三蔵シュェンザンサンツァンゆかりの観光スポット「大雁塔ダーイェンターをご紹介。

 

それではスタート!

 

大雁塔ダーイェンター

 

日本人は中国人以上に「西遊記」が大好き!
中国人もビックリするほど「西遊記」が何度も何度も実写化されていますよね?

そういう中国でも夏休みになると毎年のように再放送されるのが、中国で1986年に製作された名作「西遊記」の連続ドラマ。
駐在1年目の夏にテレビで観てから完全にハマってしまったラーメン博士(=ダンナ)は今年の夏の放送もとても楽しみにしています^^

さてさて、そんな「西遊記」の主人公と言えば孫悟空。
もちろん架空の人物なのですが、その孫悟空たちを従えて旅をしていたボスの玄奘三蔵法師は実在の人物です。

何をした人なのか?というのは皆さんもご存知だと思いますが、ひと言で言えば「中国からシルクロードを通りインドへと渡り、仏教の経典を持ち帰ったお坊さん」(笑)

それではあまりにも味気ないので、玄奘三蔵の話をもう少し詳しく説明しますと。。。

幼いころから仏門に入り修行をしていた玄奘三蔵は「仏典の研究には原典によるべき」と考え、仏教誕生の地であるインドへ渡り経典を得ようと考えました。

当時は唐王朝が誕生したばかりで国内情勢が不安定だったこともあり出国許可が下りなかった28歳の玄奘三蔵は、629年に国禁を犯してひそかに出国。
シルクロードを渡り過酷な旅路へと旅立ち、はるか彼方の天竺(現在のインド)を目指します。

様々な困難を乗り越え(出発時には40人いた同行者が、2年後には玄奘三蔵ただ一人になってしまったとか!)ようやくたどり着いた天竺で、仏舎利150粒、仏像8体、そしてサンスクリット経典657部を手に入れ、出国から16年の時を経て長安へ戻ってきたのは645年(その時には国政も安定し、大偉業を成し遂げたこともあり密出国についてはお咎めなし^^)

持ち帰った大切な大切な経典や仏像を保管するために自ら設計し建設したのが、今回ご紹介する「大雁塔」となります。

 

前置きが長くなりましたが、いよいよ大雁塔のご紹介!

大雁塔は大慈恩寺ダーツーエンスーの境内にあります。

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境内に入ると目の前に大迫力の大雁塔がそびえ立っています。

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大雁塔の創建は652年。
7層からなり、高さは64mもあります。
先ほど書いた通り、設計も玄奘三蔵自身が行い創建当時は5層の建物でしたが、その後再建したものは7層となりました。
しかし、塔の基礎と下層部分は、創建当時のままのものを基にしています。

命がけで得た大切な経典を一刻も早くキチンと保管したい!とばかり、高僧となった玄奘三蔵自身もがレンガ運びまで行ったという言い伝えもあったりと、とても玄奘三蔵の存在を身近に感じられるスポットです。

 

境内は観光客でごった返していますが、地元の人たちの憩いの場でもあるようです。

水で書道を練習するおじいちゃん。なかなかの腕前!

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ちびっ子たちは記念撮影で写真をパシャリ!

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本堂の中のご本尊がこちら。
さすがに厳かな感じが漂っており、遠目から失礼しました。

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いよいよ大雁塔の中へ!

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玄奘三蔵が建立した当時のままの基礎部分も大切に保管されています。

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経典を背負って旅する玄奘三蔵の姿。
夏目雅子さんの面影は、、、どこにもないですね(笑)

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凄まじい距離を移動したのが分かります。

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内部は、上に行くほど狭くなっていて、螺旋階段も人がすれ違うのにやっと!

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息を切らしてようやくたどり着いた最上階からの眺めは、とてもすばらしいものでした!
東西南北すべての方向から一望でき、西安の街の様子がとてもよくわかります^^

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今回の西安の旅行では「伝説の人物が本当に実在していたんだなぁ」と感じるスポットがあちこちに存在し、この大雁塔もそういったうちのひとつでした。

ここが私たち日本人の多くが信仰する宗教である仏教にとって、とても大切な中継ポイントだったのかと思うと、なんだか感慨深いものがありました^^

 

また次回をお楽しみに~!

 

それでは今日はこの辺で!
再見ザァイジェン(またね)

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<番外編>中国の古都・西安へ③

2018/5/17

さっちん

大家好ダージャーハオ(みなさんこんにちは)!
さっちんです^^

 

今月から「上海太太日記」の番外編として、私が二泊三日で旅した西安シーアンの観光スポットをご紹介しています。

今回ご紹介するのは真言宗の開祖である弘法大師・空海が修行をしたとされるお寺「青龍寺チンロンスーをご紹介。

 

それではスタート!

 

青龍寺チンロンスー

日本人なら誰でも知っている弘法大師・空海は讃岐(香川県)に生まれ、修行・出家後の804年に遣唐使の長期留学・学問僧として唐の長安(今の西安ですね^^)に渡ります。

翌年の805年にこちら青龍寺の高僧・恵果フイグォに弟子入りし密教の奥義を伝授。
20年間の留学予定で来たものの霊感を持つ恵果の「早く故郷に帰り仏教を広めよ」との進言により2年で帰国(その後まもなく遣唐使は廃止)。
日本に戻った後は高野山に金剛峯寺を開山し真言宗の開祖となったのはあまりにも有名な話です。

無名の一僧侶として唐(長安=西安)に渡り、多くのものを吸収して恵果和尚の一番弟子となり高僧となって日本に帰省した空海。
「虚しく往きて実ちて帰る」という言葉も有名ですよね^^

 

さて、そんな空海ゆかりのお寺である青龍寺はコチラ!

かなり大きなお寺です。

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こちらのお寺は唐の戦乱時に荒れ果てて廃寺となり、その後も復興・廃退を繰り返してきました。

そして近年になり西安人民政府が青龍寺の遺址と伝えられてきた石仏寺周辺の発掘調査を行い、1973年に塔の土台と殿堂の跡など多数の唐代の遺物を発見し、復興・再建されました。

なので、今現在見ることができるのは、1982年に再建されたお寺なのですね。。。
どうりでキレイで新しいと思った(苦笑)

 

そしてその再建には日本も深く関わっており、空海ゆかりの地ということでかなり復興に尽力したようです。

 

なので、お寺の中はさながら「ザ・空海寺」(笑)

お寺の説明文の中にもしっかりと「空海」の名前が記されていました。

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空海の説明書きや、、、

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空海の先生(老師ラオシー)である恵果の説明も。

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空海が日本に帰る際に別れを惜しんだ詩もありました。

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唐の時代は名寺として有名で、有名な詩人・白居易(←むかーし昔、古文で習いましたよね?)が青龍寺を読んだ詩も。。。

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さて、日本から寄贈された空海記念碑は、、、

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周りは桜の木で囲まれており桜の時期にはとても美しい桜が楽しめるそうです。

 

そして私も訪れるまで知らなかったのですが、こちらのお寺はお遍路・四国八十八か所巡礼札所の零番(0番)札所に正式に指定されているらしいのです!

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ゼ~ロ~!

 

そのため多くの日本人お遍路さんがこのお寺を巡礼するらしく、日本人の私たちも一角にある御朱印などをいただけるエリアに通していただきました^^

 

なんとなく厳かな雰囲気だったのでそちらの部屋内の写真は控えましたが、遠慮がちに撮った何枚かの写真をご紹介。

 

お遍路手ぬぐいにちゃんとこちらの青龍寺も「零番(0番)札所」として記されていました。

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能書家(書の名人)としても知られる空海が書いたとされる書の拓本。

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空海と師匠の恵果の姿も。

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恵果の姿はなぜか童子と一緒に描かれることが多いそうです。

 

その他には記帳ができたり、御朱印がいただけたり、数珠などの仏具が購入出来たりと、ちょっと中国人の商魂たくましさが垣間見えたりしましたが(笑)、それにまんまと引っかかる日本人の私!

「零番(0番)札所」と御朱印が押された御朱印帳(日本では御朱印巡りをしていましたので)と祈祷済の数珠を買ってしまいました!

が!!!

実は先週日本へ一時帰国したのですが、その際日本へ持ち帰り、うっかり写真を残すのを忘れてしまいました!
なので申し訳ないのですが、そちらの写真は未掲載。。。

夏の帰国の際に、再び写真を撮って再掲載いたします!!!m(_ _)m
なので、また夏以降にこのページを訪れてみて下さいネ!

 

ちゃんと入場券にも「第零番(0番)札所」のハンコ、押していただきましたよ^^

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また次回をお楽しみに~!

 

それでは今日はこの辺で!
再見ザァイジェン(またね)

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<番外編>中国の古都・西安へ②

2018/5/10

さっちん
大家好ダージャーハオ(みなさんこんにちは)!

さっちんです^^

 

前回から「上海太太日記」の番外編として、私が二泊三日で旅した西安シーアンの観光スポットをご紹介しています。

まず最初は、西安の街の中心部を取り囲むようにそびえ立っている「城壁チェンチアンからスタートです!

 

城壁チェンチアン

 

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こちらは完全に保存されている世界最大の古代城壁であり、世界で最も整った古代の軍事砦でもあります。

現在の城壁は唐時代の長安城を基礎にして、明の時代(1370年代)にレンガを積み重ねて作られました。

大きさは東西4km、南北3kmの周囲14km、高さ12m、城壁の厚さ15mと超巨大!

昔は敵からの侵入を完全に防ぐために、日の出を待って門が明けられ、日没と共に閉められたそうです。

 

入場料を払って城壁の上へ上り散策ができるので、私も上ってみました^^

南門(永寧門)からいざ潜入!

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城壁の上はこの賑わい。

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上から見下ろすとお堀が見え、街が見渡せます。
ここから弓矢で敵を狙い撃ちしていたのでしょうか???

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南門から西門までカートに乗ってみました♪

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10人ほど乗れ同乗のガイドさんがガイドをしてくれていましたが、中国語なので全く理解できず。。。残念!

 

自転車レンタルもあるので一周回ってみるのも楽しそう!

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西門(安定門)まではカートで数分でしょうか?あっという間に到着!

降りると全体像が分かる案内板があったのでパシャリ。

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西門は城壁の中で最大の門で、創建当時はシルクロードの発着点として門の周辺はとても栄えたようです。

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夜になるとライトアップされてまた違った魅力が垣間見えます。

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こちらは中国のおばちゃんたちに大流行の広場踊グァンチャンウー
何グループも見かけて、その多さは場所取りに苦労しそうなほどでした(笑)

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城壁の周辺は地元の方々の憩いの場となっています。

夜になると観光客だけでなく地元の人たちで大賑わい。

でもこのライトアップの色は日本では考えられない色彩ですよね(苦笑)

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街の中心部にそびえ立つ巨大な城壁は西安のシンボルとして圧倒的な存在感でした^^

 

思ったより長くなってしまったので、今回は一か所だけのご紹介となってしまいました(~~;

また次回をお楽しみに~!

 

それでは今日はこの辺で!
再見ザァイジェン(またね)

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<番外編>中国の古都・西安へ①

2018/5/3

さっちん

大家好ダージャーハオ(みなさんこんにちは)!
さっちんです^^

 

日本はただ今、ゴールデンウィーク真っ最中ですね^^
皆さんも海に山にと日本中を移動中でしょうか?

こちら中国にゴールデンウィークはありませんが、5月1日は労働節ラオドンジエという祝日でその日を含めて3連休になります。

ラーメン博士(=ダンナ)の会社も連休だったので、日本人は一時帰国したり、中国人は旅行に出たりとそれぞれエンジョイ。

私はというと、、、なんと初めての中国国内旅行へと出かけました!
場所は西安シーアン
言わずと知れた中国の古都で、昔は長安チャンアンと呼ばれていました。

古代中国の都が置かれた場所なだけあって、見どころスポットが満載!

秦の始皇帝が作らせた巨大な地下兵隊軍団「兵馬俑ビンマーヨン」や平城京や平安京のモデルとなった市街中心にそびえる「城壁チェンチャン」、空海が修行したお寺「青龍寺チンロンスー」、玄奘三蔵法師が天竺から持ち帰ったお経を保存するために建てた「大雁塔ダーイェンター」、楊貴妃が浸かった温泉遺跡「華清池ファーチンチー」等々。

二泊三日の旅行では日にちが足りないくらいのスポットをフルで回ってきました^^

ということで、今回から数回に分けて上海太太日記の「番外編」として西安旅行のお話をしたいと思います。

今回は、その前の予備知識として西安の説明を少々。。。

 

西安は中国の内陸、真ん中あたりに位置する陝西省シャンシーシェンの省都で、古代中国では長安チャンアンと呼ばれていました。

その歴史はとても古く、省内には黄河が流れているため世界四大文明のひとつ、黄河文明の一地域でもあります。

紀元前11世紀から紀元後10世紀までの約2000年の間、古代中国において13もの王朝が都として定めた重要な都市で、地理的にはローマへと続くシルクロードの出発点・玄関口として東と西の文化・人・物をつなぐ重要な拠点でもあり、まさに世界最大の国際都市でもありました。

古代日本とのつながりもとても深く、隋や唐の時代には日本からたくさんの留学生が遣隋使・遣唐使として長安へと向かい、その高度な文化を学び、吸収しようと命がけで海を渡りました(←日本史で習いましたよね^^)

遣唐使として派遣された阿倍仲麻呂井真成(2004年に新たに発表された日本人留学生)は高官として長く長安に滞在し日中の友好に貢献し、弘法大師空海は密教を学び帰国後に高野山金剛峯寺を建立したりと、古代の日本にとって長安は非常に学ぶことの多い先生であり、大先輩でもあったようです。

そんな古都・西安は、日本の古都である京都市・奈良市と友好都市関係にあり日本からの観光客もとても多く、また日本人の興味をくすぐる見どころスポットが満載の都市でもあります。

ちなみに現在の中国の国家首席・習近平氏は陝西省出身で、地元の方はそのことをとても誇りに思っているようですよ^^

次回からはいよいよ西安で訪れた様々なスポットを詳しくご紹介していこうと思います!

 

それでは今日はこの辺で!
再見ザァイジェン(またね)

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上海のグルメ

上海は小吃天国!

2018/4/26

さっちん

大家好ダージャーハオ(みなさんこんにちは)!
さっちんです^^

 

中国では小吃シャオチーという、食事とまではいかないけどちょっとお腹が空いたな。。。という時に気軽に食べられるおやつや軽食などが、よく屋台やお店などで売られています。

(日本でも肉まんやたこ焼きなど、小腹が空いたときにサクッと食べますよね?)

今回は上海の街でよく見かける小吃を何点かご紹介しようと思います^^

 

まず、私が一番好きな小吃からご紹介!
それは「葱油餅ツォンヨウピンです。

小麦粉の生地に細かく刻んだ葱を入れ、葱油を塗って焼きあげたものです。

中国人も大好きで、近所の葱油餅屋さんはいつもこの行列!

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最近は鉄板で焼くスタイルのものがメジャーですが、

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インドのナンのように焼き窯の壁に貼り付けて焼くスタイルもあります。

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私は油が下に落ちてパリッと焼かれる後者の方が好きです!
この葱油餅をマルコポーロが持ち帰り、イタリアのピザの原型になったとかならないとか!?

 

「煎餅ジェンピン

日本のお煎餅と同じ字を書きますが、物は全く違います。

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クレープのように小麦粉を溶いた生地を丸い鉄板で焼き、中にお好みの具材(卵・野菜・薄脆バオツェイ(パリパリに揚げたクラッカー状の具材)など)を入れ、辛いお味噌を塗って巻いた小吃です。

中の具材の量や辛さなど自分のお好み次第なので、自由自在にカスタマイズできるのも嬉しい魅力です^^

 

次は、小籠包系三種をご紹介!

「生煎饅頭シェンジェンマントウ

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こちらは横浜でも大流行した焼き小籠包。
外はカリ、中はジューシーな肉汁に溢れていて口の中の火傷に要注意の小吃です。

 

「小籠包シャオロンバオ

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小籠包は上海近郊の街、南翔が発祥と言われています。
お店でゆっくりと食べるのもいいですが、観光地でも本格的な小籠包がサクッと食べられるのは本場ならでは!

 

「蟹黄大湯包シエファンダータンバオ

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上海蟹のミソと身、そしてたっぷりのスープが入っています。
ストローでスープを飲んだ後に、皮と具を食べると好吃~!

 

次はお肉系の「羊肉串ヤンロウチュァン

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中国では羊肉をよく食べます(羊肉大好きな私には天国です!)
特に西の方の地域(新疆ウイグル自治区など)に住む人は宗教上豚肉を食べられないので、羊肉しか出さない料理屋さんもあります。

上海の街中でもスパイシーな味付けの羊肉串がよく売られています。
私も大好きで見かけるとつい購入してしまい、串を片手にブラブラ街を歩いています(笑)

 

さて、小腹が満たされた後はスイーツ部門です!

 

「鶏蛋仔ジィダンザイ

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香港で生まれ大流行したスイーツで、卵をふんだんに使用したワッフル生地をボコボコの型で焼き上げたワッフルです。
外はカリッ、中はフワッとした生地にアイスクリームを巻いて食べるととっても好吃!

 

「芒果果汁マングゥオグゥオジー

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中国は国土が広いので常夏の南国チックな気候の地域もあります。
なので、マンゴーは年中出回っている普通の果物です(そして安い!!)
マンゴーを使ったスイーツ屋さんがとても流行っていて、観光地だけでなく街中にもとてもたくさんあります。

 

「芝麻球ジーマーチョウ」

最後にご紹介したいのがコチラの胡麻団子です^^
(こちらは大麻球という品で直径10cmぐらい!?)

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白玉粉・水・胡麻油を混ぜた生地に餡子を包み、胡麻をまぶして揚げたスイーツです。

こちらではとてもメジャーな伝統的スイーツで、横浜中華街でもよく売られているのでは?

私も大好きでよく近所のお店に買いに行きますが、その大人気の老舗店はいつも長蛇の列。

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(ちなみにこちらの店名の「白玉蘭バイユゥラン」とは日本語の白木蓮のことで、上海の市花でもあります)

 

紹介していたらなんだかお腹が空いてきてしまいました。。。

皆さんも日本で食べられる小吃を探しに横浜中華街へレッツゴー^^

 

それでは今日はこの辺で!
再見ザァイジェン(またね)

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上海の名所

上海近郊の街へ小トリップ!<朱家角>

2018/4/19

さっちん

大家好ダージャーハオ(みなさんこんにちは)!
さっちんです^^

上海は市の中心部から少し離れると、数多くの古鎮(古い街)が点在しています。

七宝、南翔、西塘などなど。。。

今回は、昨年地下鉄17号線が開通しアクセス良好になった「朱家角ジュージャージャオ」という水郷の街をご案内しようと思います。

 

朱家角ジュージャージャオ

朱家角は上海市中心部から西へ48kmほど離れた町で、一応ギリギリ上海市内(上海市青浦区)といった場所に位置しています。

これまではアクセス方法がバスや車しかなかったのですが、先にも書いたように2017年に地下鉄17号線が開通し、市中心部から地下鉄で1時間ほどでアクセスできるように!
まさに上海からの小トリップにぴったり!ということで、最近注目のスポットです。

街の歴史はとても古く、およそ5000年ほど前から人が住み始め、日本人も大好きな三国時代(西暦200年代)には既に村が作られ始めたとのこと。

宋・元代(西暦900~1300年代)には水路を利用した水運により徐々に街が栄え始め、明・清代(西暦1300~1900年代)には紡績業や稲作で非常に栄えた上海郊外の大きな古鎮として知られています。

 

さて。
私が訪れた日はあいにくの雨模様。
街散策には全くの不適切な天候となってしまいました(涙)

地下鉄の駅を降りるとドドーンと「ようこそ朱家角へ」的な看板が出迎えてくれました。

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水郷へと向かう町並みもとても整備されていて(上海郊外としては)とってもキレイ♪

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徒歩15分ほどでしょうか?
朱家角古鎮の街中へと入ってきました。

観光案内所前の看板には見どころスポットの案内が書いてあるので便利です。

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(無料パンフレットなどもあるようなのですが、この日は雨にもかかわらずすごい人出であいにく入手できませんでした)

 

街一番の大きな橋「放生橋ファンシェンチャオ」からの眺めがこちら。

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上海近郊の水郷の中では、かなり川幅が広め。
天気がいい時には観光の屋形船などに乗るといい眺めが楽しめそうです^^

こちらの「放生橋」(橋の全体写真は撮影を失念してしまいました。。。スミマセン)は西暦1571年に街の僧侶さんの呼びかけで街の人たちがお金を出し合って作られたという歴史ある橋で、当時の上海近郊では最大・最長の橋だったそうです。

 

街の中には路地が入り組んでいて、両サイドにお土産屋さん・飲食店などがひしめき合っており、いくら見ても見飽きることはありません。

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路地を進むと必ず川にぶつかるのが、ザ・水郷の街!ですね。

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白壁に黒瓦というのは、この地方によく見られる典型的な建物の特徴です。

 

こちらの水郷の守り神を祀っている道教寺院「城隍廟チェンファンミャオ」は1763年建立。

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いつも思うのですが、中国の狛犬って両方「阿」なんですよね。。。(何でだろう)

 

そして、ひときわ目立つこちらの建物は「圓津禅院ユェンジンチャンユェン」という禅寺で1341年建立。
辰州聖母像という女性の神様を祀っているので「娘娘廟ニャンニャンミャオ」とも呼ばれています。

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とてもノスタルジックな雰囲気を醸し出しているこちらの屋根付き橋。

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こちらは「廊橋ランチャオ」という街唯一の木造橋で文化財にも指定されています。
人がすれ違うのにやっとという小さな橋ですが、街のメインストリートにつながっていて橋の上からの眺めも抜群です。

 

この日は曇天からポツポツ雨。そして本降りから土砂降りへ。。。と最悪な天気の中での散策となり、かなりの速足散策となってしまいました。
私ももっとゆっくりと楽しみたかったな。。。

川沿いの雰囲気ある茶屋でホッと一息まったり気分を味わったり、美術館に立ち寄ったりと、もっといろいろと楽しめるスポット満載とのことなので、皆さんも上海にいらした際は古い水郷の街朱家角を是非訪れてみて下さいね^^

それでは今日はこの辺で!
再見ザァイジェン(またね)!

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プロフィール

  • さっちん

    さっちん

    東京生まれ埼玉育ち。横浜在住時、リビング地域特派員に。2016年冬よりダンナ(通称:ラーメン博士)の上海駐在に伴い上海での生活をスタート。横浜の姉妹・友好都市「上海」より、ホットな話題をお届けします♪

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